筆者の友人の話である.彼はかつて米国にいるときに自動車の運転免許を取得したが,そのとき「周りの車が制限速度以上で流れているときは流れに乗って制限速度以上で走ってもよいか」という試験問題があったという.正解は「よい」であるが,彼は「よくない」と答えたという.これはかなり昔のことであって現在はどうなっているか筆者は寡聞にして知らない.
彼の話は,自動運転車と非自動運転車の混合交通の問題を示唆している.自動運転車が交通規則を遵守するようにプログラムされていると,実際の交通流に即した運転ができないために,自動運転車が事故や渋滞の原因になる可能性がある.グーグルの自動運転車は公道での走行時に何回か後続車に追突されているのがその典型である.その原因は,黄信号で停止しようとしたグーグル車と黄信号で交差点を通過しようとした非自動運転車の判断の違いにあったのだろう.
自動運転車と非自動運転車の交通流だけでなく,将来出現するかもしれないすべての自動車が自動運転車になったときの交通流にも,同様の問題が存在する.歩行者や自転車などが存在する市街路の交通流で,自動運転車間に認知,判断,操作のアルゴリズムに違いがあれば,事故の原因になり得る.高速道路で走行速度や加減速度の差があれば,渋滞の原因になり得る.
近い将来でもアルゴリズムが同一でないことに起因する問題が発生するかもしれない.すでにACCが多くの自動車会社で商品化されているが,各社,各車のACCアルゴリズムは必ずしも同一ではない.ACCで走行する車が増えると,各車のアルゴリズムの差異が交通流を乱す可能性がある.
将来,自動運転車が普及すると,すべての自動運転車は同一のアルゴリズム,同一の性能で認知,判断,操作を行うことになるかもしれない.そうなると各メーカ間の違いがなくなるかもしれないが,ドライバや社会はこれを受容するだろうか.
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細井健吾 kengo.hosoi.5g@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 23:51)
アルゴリズムの差異による問題は、自分自身では全く考えていなかったことであり、この記事はとても参考になった。自動運転の問題を考える中で、運転手の状況に合わせた柔軟な対応が、交通安全に繋がっているということを再確認した。臨機応変な判断が安全面で重要なポイントになるが、機械が人と同じように判断することは難しいだろう。自動運転車同士であればアルゴリズムを同一にすることで解決するかもしれない。しかし、自動運転車と非自動運転車では確率的に判断の違いが生じてしまう。ここで私は、自動運転車にはそれ専用の目印を付けることが効果的ではないかと考える。初心者マークや高齢者マークと同じように、自動運転車であることを周囲に知らせるマークを作ることで、後方の車が車間距離を空けるなどの対策を講じられる。
メーカー間の違いをなくすことには、メーカー自身が強く反対すると思う。開発競争が激しい分野では尚更、現実的ではないと感じる。今後、メーカーごとに性能の違いがどの程度生じるかについても注目したい。
渋谷英里 eri.shibuya.2k@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 23:38)
自動運転車と非自動運転車,つまりAIと人間の間に,認知・判断・操作のアルゴリズムの違いがあると,私自身もそう感じました.自動運転車が非自動運転車に追突された事例があると記載されているように,事故や渋滞の原因になる可能性が十分に見込まれるので,完全自動運転化や自動運転車と非自動運転車との混合交通は難しいのではないかと思いました.
ですがそれと同時に,もしも全ての車が自動運転車に変わり,各社,各車が差異のない同一のアルゴリズムで,同一の性能で認知・判断・操作を行うように,統一されたとなれば,そのような問題は無くなるものではないかとも考えましたが,社会はより優れたものを欲するため,その均衡はすぐに崩れてしまうのではないかと思いました.
以上のことより,完全自動運転化は特に難しいと感じましたが,自動運転による運転のサポートや,非自動運転車と自動運転車の運転手がお互いに注意を払いながら走行することで,事故や運転手への負担を減らすことに繋がるのではないかと考えました.
伊藤光司 koji.ito.5z@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 22:48)
まず、私が考える非自動運転車と自動運転車との違いとは、狭い道では幅員の広い場所で待ったり、高速道路等合流時に左右で重ならないようアクセルを踏んだり離したりといったようなその場でのアドリブで行動することが可能であるかという点である。
私はこのような人間らしい咄嗟の判断での行動が事故を防いでいると考えているため、アドリブの効かない自動運転車が非自動運転車が混合した道路では非自動運転車が柔軟な対応をしなければ事故につながると考える。
例えばであるが、冒頭にも述べたような高速道路の合流の場面でときには法定速度を超えて走ることで合流車にスペースを空けるといったような行動は、道路交通法を遵守するようにプログラムされた自動運転車には取れないであろう。
非自動運転車同士では上記のようなアドリブの行動をとれなかったり、ドライバー同士の意思の疎通がうまく出来なかったときに事故が発生する。これは自動運転車でも同様であり、プログラムによって異なるアルゴリズムを使用した場合には高確率で事故が発生すると考える。
そのため、複数社から自動運転のアルゴリズムが発表される場合には膨大な量のシミュレーションから異種アルゴリズムを混合させることでの問題がどのように発生するかを考えなくてはいけないだろう。
齋藤寛樹 kanju.saito.6d@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 17:53)
私はこの記事を読んで自動車学校のテストの問題が思い浮かんだ。
1つ例に挙げると「対向車や通行人が見当たらない場合、前日降った雨によって濡れている枯葉の山を回避して通行するべきか」という問題である。
私は、路上教習の際に、落ちているごみを回避するように教官に言われた経験などからYesの回答をしたのだが、この回答は不正解だった。
これは著者が述べているように道路上で取るべき行動というのは状況によって様々であり、一意に正解が定まらないという事を示していると思う。
このようにあいまいな部分を交通規則は抱えている。
このようなことを考慮して自動運転車についての問題を考える際、容易に考えられる回答は、自動運転を拒否する考え方と、完全にすべての自動車を自動運転で制御することの2つである。自動運転を拒否する考え方は人類の発展の観点からナンセンスであるとしておく。また、完全にすべての自動車を自動運転で制御することについて、この方式を取る際、著者が述べているように各メーカー間の違いや、運転を楽しみたいドライバの気持ちなどは無視されることとなる。人間の社会の中の自動車として、これはあまり喜ばしいことではないだろう。
柴崎英彦 hidehiko.shibasaki.8g@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 16:07)
自動運転車と非自動運転車が混在している段階では危険性はどうしても避けられないものではないかと感じた.
自動運転車が人間と同じような判断が機能的にできるかどうかを考える前に,今回の記事にあるような流れに乗って制限速度以上で走るというような判断は,自動運転車の選択肢にはない判断だと私は思う.なぜなら,メーカーはこれから自動運転車を普及させていくため,または責任から逃れるために,自動運転車が法を破り走行している間に事故を起こすということをなにがあっても回避しなければならないからである.だからといって,実際の交通流に即した運転ができないことで事故が起こるのもまた事実である.
このことから,自動運転車と非自動運転車が混在する危険性は排除することができず,この問題の解決策は国内すべての自動車を自動運転車に変えるか,非自動運転車が自動運転車に合わせた運転に変えるかしかないだろう.
髙山直都 naoto.takayama.2n@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 15 1月 2021 00:37)
自動運転車と非自動運転車の交通流や自動運転車のみの交通流においても相互の判断の違いが事故や渋滞の原因になりうるという筆者の考えに対して私自身も同感である。
勿論道路に出てくる自動運転車がすべて同じメーカー・同じ型番であれば運転に対する判断の違いがなくなるので、開発側のデバッグミスや競合がない場合には事故や渋滞の発生確率は格段に下がると推測できる。
しかしながら、現に運転をすること自体に楽しみを感じるドライバがいれば、見た目のかっこよさや自動車自体のスペックをもとに自動車の購入を検討・所有しているドライバがいることから、ドライバや社会が公道を走行できる自動車の統一を容認するまでには相当な時間がかかるであろう。
自動車にも個性がある中で、自動運転技術を世の中に普及させるために必要なのは安全運転をアシストする技術であると私は考えており、実現にあたっては『安全運転といえる規定』を各自動車メーカーや開発者で協議・制定する必要があると推測する。
上記の『安全運転といえる規定』から自動運転処理技術の発展により自動車間のスペック的差異が生じた場合での安全運転を実現することを前提とし、渋滞を解消する技術やドライバの負担を減らす技術などを実現することが今後の目標となると私は考えた。
岸本唯 yui.kishimoto.5u@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 23:58)
人間の認知,判断,操作とAIのアルゴリズムによる認知,判断,操作には違いがあり共存が難しいということが分かった.しかし,レベル5の完全運転自動化が実現すれば,個人差が生まれない人工知能の方が,法的に処置しやすいのではないかと思った.ヒューマンドライバーは元々の知能に個人差があるため,ある意味様々な状況を加味して責任が誰にあるのか判断する必要があるが,すべて人工知能ならば平和的解決ができそうな気がする.しかし,万が一事故が起きてしまった場合の責任はだれが取るのかが問題になってくる.私は,自動運転を搭載した車を販売した会社が責任を取るべきだと思う.なぜなら,事故が全く起きないという自信を元に車を販売するべきであるし,消費者はそれを信用して車を買うので,その責任は取るべきだと思うからである.しかも,21世紀の後半には,人工知能は人間の知能の1兆の1兆倍になると予想されており,その程度の知能があれば,責任が取り切れないほどの事故は起こらないと考える.
岡田将和 masakazu.okada.4c@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 21:23)
本記事での,自動運転車とヒューマンドライバの非自動運転車の事故においては,認識の違いから,共感を得る部分が多く,将来的に全ての車同士が通信で繋がっているとした時に改善することができると思える.しかし,昔の車が好きという人もいる世の中で,車検などで強制する以外,非現実的であると感じた.
技術面でも,これを実現するには,全ての車会社が全く同じアルゴリズムを用いた技術を使用しないといけない部分に難しさを感じた.車会社同士では,カーオブザイヤーなど当然ながら競い合いがある.そんな中で,同じアルゴリズムを使用するとなると,どの会社も自社のものをと対立が起きると思われる.
それに何よりも車を運転するなら,車ではなく,それを扱う運転手に責任が必要だと考える.もし,自動運転中の走行車が事故をした場合,非難は十中八九,車会社に矛が向くと考える.
このように,たくさんの弊害から難しいと考える.しかし,この弊害を考えなくて良いとした場合は,私個人としては,見てみたいなと思いました.
佐伯泰雅 taiga.saeki.3v@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 17:20)
私はこの文章を読み,自動運転車と非自動運転車の共存は限りなく難しいことだと考えた.そもそも,非自動運転車のみが走行している公道ですら,数多もの交通事故が起きている.それは,運転しているそれぞれの人々の認識の差や集中力の差,または運転の慣れ不慣れなどの差,想定外の出来事など(歩行者の飛び出しなど)がそれぞれ重なり起きていると考える.そんな中,また別のアルゴリズムを持った自動運転車を公道に放り込み事故が起きないわけがないと考える.自動運転車を利用したいなら,自動運転専用の公道を作り,全ての自動運転車のアルゴリズムを共通するべきである.そうすれば,不要な事故も防ぐことができ,非自動運転車を運転している人々も安心して運転できるだろう.
平山蒼太 sota.hirayama.3j@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 16:50)
上記の内容を読んで改めて、完全な自動運転の完成は難しいと感じた。そこで私は自動運転車と非自動運転車の車道を分けるといった案を考えた。すべての道ではなく、事故が多い道路、高速道路、といった一部の道に自動運転車用の専用道路を作る。こうすることによって自動運転車と非自動運転車との接触事故はへり、問題は「会社によってアルゴリズムが違う」といったことだけに絞られると思う。
様々なことを述べたが、完全な自動運転が完成すれば事故も減り、より快適になることは間違いない。たくさんのイレギュラーに対するデータ集まれば、完全な自動運転に近づくと思うので完成を楽しみにしている。
中島威伸 takenobu.nakajima.4b@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 15:50)
本記事を読んで私は自動運転の実現の厳しさを改めて感じた.機械には周りと合わせるという,人間が行うことが難しくて行えない.しかし,前後の車の中間の位置にいることは可能である.また,危険な可能性があるのに制限速度を守らないこと,黄色信号で運転する,ということは運転する人間に問題がある.高速道路での運転が時速100kmで行うべきなら,速度制限を改正するべきであると思った.完全な自動運転を可能にするには国が自動運転のための制度をつくる必要性を感じる.
また,記事に記載されていた「アルゴリズムを同一にする必要がある」ということに関して,私は全く同じものにするということは不可能なように感じた.しかし,世界すべての国で条件を細かく統一し,この条件になるようにプログラムを設計するというようにすれば企業によって,自由に自動運転の車を作れる.
しかし,私は自動運転よりも安全な運転のためのシステムの向上がされる方がありがたいと感じる.不安な自動運転車よりも安全性の高い非自動運転車に乗りたいと私は思う.
曽和丈竜 takeru.sowa.9z@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 15:42)
大変興味深い記事であると感じた。
私自身、自動運転がもたらす利便性や、それによって発生する安全性への過信については認識していたが、自動運転車と非自動運転車の判断の違いがもたらす交通事故や渋滞の可能性については考えたことがなかった。
この問題への解決策は2つある。1つ目は自動運転車と非自動運転車、どちらか(もしくは両方)の交通ルールへの認識を改めることである。現にドライバーが法定速度を守らないことが当然のように起こっていて、それを非難する人も少ない。自動運転車がこのような暗黙のルールに順応するのは難しい。よって非自動運転車ドライバーが認識を改め、自動運転車との意識の違いに対応する必要がある。
2つ目の解決策は、法律によって定められた交通ルール自体を改正することである。問題点としては法律の改正には莫大な時間を要するので、自動運転の普及に先立った早めの対応が求められることである。私はこの2つ目の解決策の方が現実的であると考えている。
三井康平 kohei.mitsui.7r@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 15:40)
自動運転を普及させるうえで自動運転車同士のアルゴリズムをメーカー間で統一させるのは必要だと感じる.記事で述べられているように社会で不満も出る可能性があるが,自動運転車同士で事故が発生し,自動運転アルゴリズムが争点に上がった場合,どちらのアルゴリズムが状況に不適切な判断をしたかを考えるのは難しい.責任関係が曖昧になることを考えれば仕方のないように思える.また,自動運転車と非自動運転車の判断基準の違いによって生じる事故を減らすためにドライバーとAIの持つ情報を近づけて視点を同じにすることが重要だと感じた.例えば,車々間通信による自動運転では通信により周辺の車と位置情報を交換し,制御する方式がとられている.しかし,ドライバーが認識できない位置の車を自動運転車のみが認識していた場合,判断に違いが生じ,事故を起こす危険がある.自動運転車の持つ情報や判断をカーナビ等で非自動運転車に共有できる仕組みを増やすことで,自動運転車の思わぬ挙動によって生じる事故を減らせるものと考えられる.
松坂勇輝 yuki.matsusaka.6f@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 15:32)
いろいろ考えさせられる記事であった。やはり、人間はそれぞれが思考する生き物であり、その思考によって行動はかなり変わってくる。その為、その思考全てを機会が予測することは不可能であると考えられる。
法定速度は定められてるが、日本でも破った事は無いと言う人は少ないと思う。そういった現状の社会の中で、自動運転と非自動運転が共に同じ道を走るのは厳しいと考えられる。なので、自動運転を実際に行動を走らせるなら、自動運転専用の道路を作る、又は全ての車を自動運転にしなければ、記事に書かれている様な自動運転による事故などが増えていくことになると感じた。
石井光 hikaru.ishii.4y@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 10:23)
まず,前半で紹介された後続車からの追突事故のような,ヒューマンドライバとの判断の差異を原因とする事故についてだが,本記事の内容を読んだだけでは技術の向上で解決可能な問題に感じた.
一方で,この課題を解決するために法律に縛られないアルゴリズムを搭載したとして,他車の挙動に起因する事故が発生した時に誰が責任を負うのかという問題がある.この問題は上記のような事故を回避する技術を搭載するうえで障壁になるかもしれないと思った.
次に,アルゴリズムの違いによる事故や渋滞について,同一のアルゴリズムを搭載した方が安全面においても効率面においても良いことは想像できるが,ソフトウェア,ハードウェアの広い範囲で同じものを搭載することは不可能であると考える.また,自動運転システムのみによる交通が実現されていないため,どの部分の差異が交通流にどれほどの影響を与えるか不明であることも問題だと感じた.
したがって,アルゴリズムの差異が交通流に対して与える影響を調査した後,問題ないと考えられる基準や規格を制定し,それに準じたアルゴリズムを用いるようにする必要があると考える.
加藤田卓海 takumi.katoda.8w@stu.hosei.ac.jp (木曜日, 14 1月 2021 00:12)
自動運転車と非自動運転車の共存はかなり難しいと考えさせられた.各自動車メーカーが自動運転の開発に競争がある時点ですべてのアルゴリズムが統一されるのは難しいだろう.仮にどこかの企業が完璧な自動運転を開発したとして,この開発内容は開示されるとは考えにくいし,それにより,間違いなく企業ごとにアルゴリズムに差が生まれるだろう.そうなると,各社の自動運転車と非自動運転車の共存はもはや不可能ではないだろうか.
しかし,自動運転が本当に理想の形になれば,この世の中はかなり便利になり,事故が無くなるのは確かである.いつか問題が解決され,自動運転が実現することを願う.
永井良虎 ryogo.nagai.3p@stu.hosei.ac.jp (水曜日, 13 1月 2021 14:17)
正直なところ,この記事を見て私は確かにと感じた.私は自動化により全ての状況において流通が促されると考えていた.この考え方になったのはおよそ自動運転単体の評価が世に普及しているためだろう.
私がメディアから受ける自動運転の情報は,限定された道路でのドライバのタスクの一部を担うといったものであった.さらには悪環境でのサポートや自動停止システムなどである.これら単体では便利な機能だが,それらが流れに与える影響は私たちが考えるものなのだろう.
私たちが望む世界を「リスクを伴わない便利な世界」であると考えるなら,筆者の最終的な疑問は強制力をもって統一されたアルゴリズムを受容させるべきだろう.しかし,人間性を遵守する現代では統一が許容されることはないだろう.
私たちが自動運転を利用することが一般化される時代が来る前に,自動運転で生じる問題を各々が考える必要があるだろう.そうして少しずつでも自動運転に対する理解を深め,アルゴリズムの統一化がなされることを私は望んでいる.
水野聡太 sota.mizuno.9r@stu.hosei.ac.jp (月曜日, 11 1月 2021 11:15)
法律に完璧にのっとった自動運転と人の手動運転では差異がある.また,自動運転車のシステムは開発企業によって異なるため,自動運転車同士でも事故の可能性はある.自動運転車と非自動運転車が混在している時代,全ての自動車が自動運転車に置き換わった時代でも,この差異によって自動運転車同士,自動運転車と非自動運転車の事故を招く可能性は確かにあると共感した.
自動運転システムの基準を共通化し,全ての自動車を自動運転車化すれば,これらの問題は解決する.ただ,これではどこを基準にするか,システムが同一なら自動車メーカは複数ある意味はあるのかといった問題が生じる.基準を共通にし,全ての自動車を自動運転車化しても,手動で運転することを好むドライバもいる.単純に運転が好きだったり,特定の車のエンジン音が好き,走行感が好きといった理由などでだ.また,これは自動運転だけでなく,CASE全てに言える.Sharedは自分が気に入っている車を運転したい人にとっては不要であるElectricに関しては,日本で「2030年代半ばにはすべての新車をハイブリッド車か電気自動車,燃料電池車にする」といった報道もあったが,ガソリン車特有のエンジン音や走行感を好む人にとっては抵抗感が大きいだろう.
このようにCASEも含め,自動運転を進めるために運転に関することを共通化していったとしても一人一人の考え方を潰すことは難しいし,決していいことだとは私は思えない.そのため,完全な自動運転社会になることはないと考える.自動運転車と非自動運転車が混在していても問題なく交通を安全に,円滑に行うには課題が山積みであり,実現は遠く感じるが,見てみたいと思う.
田邉倫太郎 rintaro.tanabe.9u@stu.hosei.ac.jp (月曜日, 11 1月 2021 00:34)
この記事を読んで、自動運転車と非自動運転車が共存することは困難であるが、実現していく必要があると考える。私は運転免許を取りたてで運転している時に、教習所では教えてもらえない暗黙の了解が存在するように感じた。これは長年運転することで経験し学ぶものであり、この暗黙の了解をAIに学ばせることは現時点で難しい。そのため、自動運転車と非自動運転車との間に認識のズレが生じ事故が起きてしまう。この点で自動運転車と非自動運転車の共存は困難であると感じた。また、自動運転車が普及した時に自動運転車の中でも同一のアルゴリズムにする必要があることは納得できた。しかし、現在もMT免許を取る人あるいはMT車を購入する人がいる事からもわかるように、車を運転することが好きな人や高級車に乗る夢を持っている人は大勢おり、その人たちにとって、車が同一の性能となり自動車メーカー間で差が無くなってしまうことは受容できない。さらに自動車業界での競争が弱まり、特に高級車メーカーが打撃を受けるのではないかと感じた。そのため自動運転車と非自動運転車の共存を実現していくべきだと考える。
自動運転車と非自動運転車の共存を実現するために、自動運転車専用レーンと非自動運転車専用レーンを設ける、自動運転と非自動運転を切り換える機能の開発などの策で課題を1つずつ解決する。そうすることで、人々がそれぞれの都合に合わせて自動運転車か非自動運転車を選択することが出来、生きやすい世の中となればいいなと感じた。
生島 昇 noboru.ikushima.3g@stu.hosei.ac.jp (日曜日, 10 1月 2021 15:05)
この記事を読んで自動運転と非自動運転の共存は難しいが自動運転の車の実現事態は可能であると考えられました。
自動運転の車とそうでない車を完全に同じ道路で走らせることは、自分が自動運転の形をより鮮明に想像できるようになるにつれ無理だと考えるようになりました。人とプログラムの選択する行動は異なる場合が多く、人は時に教習所などでは行わない行動、プログラムでは絶対に取らない行動をとる為である。しかし、その代わりに第5回の効率の話が合ったように自動運転の車のみであれば集団行動のパフォーマンスのように車間距離や交差点などが常に最適化可能なため道路の面積を最小限で抑えたり信号を不要とすることが出来る。よって自動運転専用の道路を整備するなど現在の自動車とは全く別の乗り物として考えるのであれば実現は可能だと考えられました。また、自動運転の道路を整備が完了し、実際に実装した際の車は全て同じプログラムにより管理され、コントロールされなければプログラムによる最適解の相違による事故などが考えられるため国や各自動車を製造している企業同士がすべて共同しなければならない。プログラムの更新などは5Gが登場以降、即座に可能であると考えられる。そのためバグが生じた場合の対応はリコールを不要とし、簡単であると考えられた。
以上の理由から現在の道路では自動運転レベルは2以下で十分であり、レベル3以上の場合には非自動運転車と同じ道路を走らず、新しい乗り物として自動運転専用の道路を整備することができれば実現が可能であると私は考えました。
岡本凌也 ryoya.okamoto.6x@stu.hosei.ac.jp (日曜日, 10 1月 2021 14:03)
公道を走っていると青信号から黄信号に変わる瞬間、その信号を通過しようとする車が速度を上げる様子を頻繁に目撃する。このように公道にはイレギュラーが多数存在する。自動運転と非自動運転が混在する交通流では、その主導権は非自動運転にあると言っても過言ではない。この記事にあるように必ずしも制限速度を守らなければならないということはないからである。したがって、すべての自動車が自動運転でないのなら完全な自動運転は実現するべきではないと考える。少なくともイレギュラーが起こりうる状況では手動運転に切り替えられるようにするべきで、運転者にも責任というリスクを負う必要がある。
市川 嵩大 shuta.ichikawa.9u@stu.hosei.ac.jp (土曜日, 09 1月 2021 15:05)
この記事を読んで,自分も前から少し疑問を抱えていたものがありものすごく共感した.人間とAIの考えには必ず判断の違いがある.判断の違いとは必ず重大な場面で発生するものであり,これは自動運転だけではなく他の分野にも通ずるものがあると思う.例えば棋士とAIの勝負や医者とAIのオペなどに挙げられ,人間には人間にしかわからないひらめきや感覚というものがありこれはAIには表現できず,時には人間がAIを上回るときがある.そのため自動運転のように何でもかんでもAIにすればいいという訳ではないと考える.
また,今後全車両を自動運転車にするにはかなりの時間と労力がかかり,それに加えメーカーごとのシステム設計の違いにより完全に事故が無くせるとは限らない.それなら自動運転レベルを人間を,フィードバックに含んだレベル3までとし自動車社会を人間がAIを上手くコントロールし共存させるような社会づくりに取り組んだ方が安全であると考える.
坂木孝乃介 konosuke.sakaki.2a@stu.hosei.ac.jp (土曜日, 09 1月 2021 14:12)
今回の記事を読んでAIが発展していく中で無視できない問題の一つである人間が手動で操作しているものと機械によって制御されているものが混ざっているときの事故というのがいかに重要であるかということが分かった.
もし仮に技術が発展して完全な全自動運転技術が誕生したとしても自身の手で運転したいという人間も存在するため自動と手動が混ざった状況というのは解決しないと考えられる.また,記事にあるように各社,各車のアルゴリズムに違いがある場合,予期せぬ事故が起こる可能性があるためなるべく同じようなアルゴリズムを取り入れる必要があるが完全に同一のアルゴリズムを採用した場合,利益の独占につながってしまうため現在の法律では対応しきれない問題が生じてしまうなどの課題があると考えられる.会社どうしの競争もなくなってしまうため社会の成長が停滞してしまうという問題もあると考えられる.
竹谷和真 kazuma.takeya.3g@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 08 1月 2021 00:22)
自動運転車と非自動運転車との共存は不可能であると考える.実際の道路上では法定速度で走行することを意識するというよりも周りの車の流れに合わせて走行することが必要な場面が多いと感じる.自動運転の開発側からすると社会への建前として,例え後ろに追突されそうな状態であったとしも黄色信号で通過するようなシステムや法定速度を超えるような速度で走るシステムは実装することはできないと予想できる.以上のように,自動運転車と非自動運転車とで明らかに判断が異なる場面が存在するということは,事故になるリスクも上がるということを意味するため共存は難しいと感じた.また,現在社会問題となっているような煽り運転などを自動運転では回避することは難しいと感じる.更に,現在の交通ルールでは自転車は車道を走ることを定められている.自動運転の場合,自転車を認識し,避けるタイミングを判断し,実際に自転車を避けるような動作が必要となってくるため,周りに自転車や非自動運転車が多いと,それだけ判断しなければならないことが多くなり,人間との判断の違いの差も大きく影響してくる場面が増えるため,そのような状況下でも事故を起こさない自動運転車の実現というのは限りなく先のことになると思われる.以上のことから,完全な自動運転を実現するためには,全ての自動車が自動運転車になる,もしくは,自動運転車の専用レーンのようなものを設置する,また,自動車,自転車,歩行者を完全に分離することが必要不可欠になってくると感じた.
関 洸太 kota.seki.4i@stu.hosei.ac.jp (水曜日, 06 1月 2021 17:37)
この記事を読んで自動運転を実現することの難しさをより深く理解することができた。今までの自動運転に対する考えは技術的な問題である自動で曲がったり、壁にぶつからないようにする技術が問題で実現できていないと思っていたが、それだけではないということがよくわかった。
また、この記事でも述べているように将来自動運転が普及するにはすべての自動運転車が同一のアルゴリズムである必要があるというのも驚くと同時に納得できた。しかしそれは大きな壁であり各社の個性がなくなってしまうのでこれはあまり現実的ではないのではないかと考える。そのため自動運転を普及させるには技術の発展に加えて同一のアルゴリズムでも各社の個性が出せるように何らかのアイデアを考える必要があると思った。
飯田健人 kento.iida.2t@stu.hosei.ac.jp (火曜日, 05 1月 2021 16:44)
この記事の内容は自分が自動運転の話を聞いた時からずっと疑問に思っていた内容だった.自分は自動運転の車とヒューマンドライバによる車の共存はありえないと考える.記事の内容通り,自動運転車は道路交通法をきっちり守り,周りの車に合わせることができないだろう.しかし,実際に道路を運転するにあたって周りの車に合わせて速度超過をすることやぎりぎりの信号を通過することなどはかえって安全な場合もある.もちろん危険な場合もあるが,このような認識のずれは事故を起こす原因に必ずなりうると思う.
このようなことが起こりうるのは自動運転車とヒューマンドライバによる車が共存している場合であって,全世界の車が何年の何月何日何時何分何秒から一斉に自動運転車に切り替わるのであればこのような事故は防げると思う.しかし,このように一斉車が切り替わることなんてありえないと自分は思う.新しい車に変える費用が無い人や運転が好きで,車が好きで自動運転に変えたくないという人も多く存在すると思う.費用の問題などは国が負担してくれる場合もあると思うが,このような人の意見を押しつぶして全世界の車を自動運転車に変えて果たして事故のない,いい世の中になったといえるのだろうか.
将来自動運転車がどこまで発展するかわからないが,自分はレベル2程度のヒューマンドライバのサポートをする自動運転で十分であると感じる.
小久保 駿介 shunsuke.kokubo.2w@stu.hosei.ac.jp (土曜日, 02 1月 2021 17:55)
完全な自動運転は本当に実現可能なのだろうか.この記事とこれまでの記事を読んでそう思った.レベル3からレベル4に移行するまでの壁があまりに高い.ドライバが人間かAIかの違いで,運転にこれほどの違いが出るということに驚いた.正直,AIを過信し過ぎていた.自動運転のメリットは,ヒューマンエラーの排除であるのに,その自動運転車がかえって事故や渋滞の元になってしまっては人間をシステムから取り除いた意味がないと思った.人間とAI(レベル3とレベル4)が混在する状況になるなら,どちらか片方に寄っていないと,人間側とAI側それぞれが原因の事故が起こってしまい,安全運転とはかけ離れたものになってしまう.また,アルゴリズムの違いによってAIを統合させることが困難という問題は,車事業のみならず,今後期待されている社会でのAI活用全般についてもこの問題は当てはまることになるのではないかと思った.
自動運転における人間とAIの共存のみならず,今後人間とAIは共存できるのだろうか.レベル4以上になってしまえば,AIによる交通整備が整うと思うが,そこに至るまでにAIの思考を人間の思考に合わせられるようになるのだろうか.最初に述べたように,レベル3からレベル4に移行するのに問題が多いため,完全な自動運転は実現不可能なのではないかと思う.実現できたとしても,近い未来ではなく,遠い未来であると私は思う.
橋汰河 taiga.hashi.7t@stu.hosei.ac.jp (土曜日, 26 12月 2020 23:33)
自動運転の技術のみが確立されても、交通流による問題が発生してしまう。自動運転車が普及しても、全ての人間が自動運転車に乗ることは恐らくない為、自動運転車と非自動運転車の混合交通による問題は必ず発生してしまう。このような交通流の問題を解決するためには、何か新しい技術を新しく搭載する必要があると感じた。
ただ、自動運転車同士のアルゴリズムの違いによる事故だけは、新しい技術の搭載ではなく、アルゴリズムと性能を同一化するのを容認することで恐らく防げる。自動運転技術の実現を各メーカの競合等による、アルゴリズムと性能の非同一化で潰してしまうのはあまりにもったいないと私は思う。自動運転化により救われる人は非常に多いため、問題は山積みであるがぜひ実現してほしい。
倉ヶ崎 史哉 fumiya.kuragasaki.2d@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 23:37)
私はこの記事より、将来の自動運転車の普及に向けては自動運転車のACCアルゴリズムの統一は、必要不可欠であると同時に時間はかかれど実現しえると考える.
そもそも自動運転車が普及しきった自動運転車のみの交通となる将来が仮にあるとするならば、その過程として自動運転車と非自動運転車が互いに一定以上運用された状態での混合交通というのはどんな期間であれ必ず訪れる状態である.
その際に生じる問題として大きいのは人と自動運転車の判断の差異もあるが、自動運転車同士のアルゴリズムの違いから生まれた問題も少なからず問題視されると考える.
自動運転車の普及の1つの大きなメリットであり目的でもある自動車交通の効率化の観点から問題を見ても、放置したままにはできないはずである.
自動運転車の開発はもちろん今までの自動車と同様にビジネスの側面もあるが、従来より問題がおきた際の責任等のモラルを重視する側面が強く、各社今までは競合していたが、その点は遅かれ早かれ開発理念の統合がされると考える.
そこに至る壁として共通化への反対意見の世論との衝突も避けられないが、それは人間の英知であるデバイスの進化の歴史と同様に時間の経過と、実際に生まれる効率の価値によって淘汰されると思われる.
井口純志 atsushi.iguchi.6g@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 23:31)
私はそもそも自動運転車が、相手が自動・非自動運転車に関わらず、プログラムに異常が無い状態で交通事故を起こすことを考えたことがなかった。
有識者や経験者でない人がその事実を知ることのできる機会は比較的少ないと思われる。
ましてや自動運転車が導入が始まったとして、これを教養として全てのドライバーに認知してもらうには時間が想定以上にかかり、また前提として消費者がこの自動運転技術を許容するかどうかについては、新たな事故の危険性を孕む新運転システムは倦厭されると考えられる。
そして、全自動運転車化が実現したとすれば、異なるメーカーの自動車間での事故の危険性がまた存在するわけである。
しかし、メーカーというのはそもそも消費者のニーズに合わせて商品を製造するのである。したがって、他社との違いをつける以前に消費者にとって安全なシステムを実現することが当然の義務であると思う。また、ドライバーは勿論社会も、事故の混乱などが起こらないように、安全と理解できた上でのシステムの展開・運用をメーカー間での違いは蔑ろにして望んでいると私は思う。
氏福亮太 ryota.ujifuku.2u@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 22:30)
自動運転が普及するには,やはりアルゴリズムの統一化が必要だと感じられた.この記事で述べられているように,統一されていないと渋滞や事故につながる.それでは,人が運転している場合あまり変わらないのではないかと感じた.人間は思考の統一化は難しいが,ロボットでは容易に行うことができる.つまり,統一化されていないもしくは,非自動運転車との混合交通では,ロボットの利点を1活用できていないと感じられた
古田真大 (金曜日, 17 1月 2020 21:44)
masahiro.furuta.8g@stu.hosei.ac.jp
今回の記事の前半の自動運転車と非自動運転車の混合交通においての追突は想像に難くない話ではありますが,後の自動運転車のみの場合でも追突,渋滞は起こり得るというのは目からウロコでした.確かに,歩行者や自転車のような自動運転の技術がないものに対する反応が事故を起こす可能性は考えられます.現在の政策としてどのように行われる予定なのかはわかりませんが私の考えとして,歩車を完全に分離することで解決していくのがあります.しかし,筆者も最後に述べているようにドライバと社会が容認するのかは甚だ疑問が残ります.
実際,完全に歩車分離をすることにより自動運転をしていくということならば今存在する電車や飛行機などの公共交通機関を発展させていくことがより合理的に感じてしまいます.
わざわざ車に考えを限定するのではなく,この問題を解決する上で世界的にどう動いていくのかはとても興味深いものになると考えます.
大沼諒語 (金曜日, 17 1月 2020 17:44)
私は道路交通法と実際のドライバーが意識するルールにズレがあることが原因だと思う.これはいわば工業用ロボットが並ぶレーンに人間が入り込んでいるような状態だと思う.これまでこんなことがあっただろうか.ないと思う.機械と人間では分業をしてきたので,自動運転と非自動運転が共存するのは難しいと思う.
ryogo.ohnuma.8m@stu.hosei.ac.jp
前田和希 kazuki.maeda.4z@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:56)
この記事と前の記事を受けて思うのは,やはり一般道で自動運転車を使用するにはすべての自動車を統一して同じ機能を持つ自動運転車にすべきです.それ以外の方法では専用道路を使う以外にないと思います.が,もしかしたら,記事にあるように自動運転車と一般自動車の違いにより渋滞は起きるが,逆に事故率を激減できるのならそれもありかなと思います.これを適用するにもやはりこれまでにない新しいヒューマンエラーを阻止すべく自動運転者およびすべての免許取得者に新しい教育を施すべきだと私は思います.
武野内祐介 yusuke.takenouchi.9v@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:54)
自動運転車と非自動運転車の混合交通の問題はとても興味深く、難しい問題であると感じた。この問題に対しては、人間が機械(人間が交通法に従って組み込んだ自動運転アルゴリズム)に合わせるべきであると考える。理由として、人間の運転の仕方は人それぞれであり必ずイレギュラーが発生するため、機械が全てのドライバに対して適切な処理を行うことは不可能に近いからだ。
しかしこれには問題がある。ドライバ側も全ての交通法を把握しなければならないということだ。正しい交通ルールとはなにか勉強し直す必要がある。そこで、運転支援システムの活用を考える。非自動運転車のドライバに対して、走行中とるべき行動について音声やディスプレイ等で知らせることで、ドライバの能力を補う。
しかしこれにも問題があり、筆写が述べる通り自動運転車にしろ非自動運転車に対する運転支援システムにしろアルゴリズムが同一でないことに起因する問題が発生することは確実である。しかし、私は各社メーカーのアルゴリズムを同一のモノにする必要性はないと考える。理由として、メーカーによって違うアルゴリズムをセンサーなどで読み取り、瞬時に同期させることによりアルゴリズムの違いによる問題解決は可能であると考えるからだ。
以上より、人間が自動運転の社会に順応するには膨大な時間が必要であるが、適切な運転支援を行うことにより、自動運転の実現は可能であると考える。
東久保太成taisei.higashikubo.6c@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:43)
自動運転車と非自動運転車の混合交通は避けては通れないだろう。なぜなら、運転するのが好きな人や自動運転車が高価で買えない人もいるからだと、私は考えた。全ての自動車が自動運転車ならば、とくに問題はないのだろう。けれど、私はあえて混合交通でいいのではないだろうか、と考えた。なぜなら、非自動運転車が自動運転車に合わせればいいのではないだろうか。非自動運転車は交通ルールを的確に守る運転をするので、それに合わせる事によって、事故が減るのではないだろうか。また、私が免許を取る際に教習所で学んだのは、速度を速くして走行したところで時間短縮にはあまり繋がらないということだ。よって、非自動運転車に合わせた運転をしてもさほど支障は出ないのではないだろうかと考えた。
小林侑生 yuki.kobayashi.2z@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:37)
私はこの記事を読んでまず制限速度以上で走ることに問題があると思った。話の趣旨が違うかもしれないがそれでもおかしな話である。現に自動運転車と非自動運転車で事故が起きると記事に書かれていたが非自動運転車同士でも起きてしまう。このことをなくすためにまず人間同士の共通理解が大切である。また、将来自動運転車だけになる同一のアルゴリズムでないと今のように事故は減らない。同一のアルゴリズムに頼るのでなく、人々の余裕を持った運転によって事故を減らすべきだと思った。
石村大輝 daiki.ishimura.2p@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:10)
将来的に自動運転が実用されるようになるならば,自動運転は地域ごとに一つの場所で管理されるべきだとこの記事を読んで考えた.なぜならアルゴリズムが同一でなければ事故が起きるリスクが高まるからである.一つの場所で車が管理されていれば,どこにどの車があるかを全て把握することができ,安全に車を管理することができる.問題となりそうなのが管理されている地域が変わるタイミングで事故が起こりそうという点である.そこは車々間通信の精度の向上により解決できると考える.
そうなると問題は対車ではなく対歩行者の事故である.人間は予測できない動きをするので全ての事故を防ぐのは実質不可能だと考える.そのため,この自動運転を機に車対歩行者の事故の責任の比率を変えることが必要だと考える.自動運転が増え,事故の責任が100%車となるならばわざと事故を起こすような人も出てくると思われる.そういうことの対策の為にも歩行者にも事故が起こった場合に責任を取らせるような法律を作るべきではと考える.
梅澤琢磨takuma.umezawa.5v@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 16:09)
自動運転の環境が整い,自動運転が普及しても走るすべての自動車を自動運転機能を有する車となることは難しいと思う.それは自動車の運転を楽しむ目的で自動車を購入する人がいるのでヒューマンドライバーがいなくならないと思うからだ.
自動運転のアルゴリズム等が各メーカーで統一されても人間による運転は無くならないと思うので完全に事故を無くすことは非常に難しいと感じる.従って死亡事故を無くす手段として自動運転を流行させるだけでなく,車自身の剛性強化などもさらに行っていくべきだと考える.
加藤皓也 kohya.kato.4k@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020)
まず,記事に記載されていた,自動運転車が普及すると,自動運転車の各メーカー間での差異がなくなるという点についてだが,これを社会やドライバが受容するとは自分は思えない.車は便利な乗り物であると同時に,インテリアとしての側面も持つからだ.車が生活必需品でない都心では特にそうした傾向が強い.そうなれば車から離れる人が増加するであろう.さらに各メーカーも個性的な車を生み出せなくなり,競争がなくなるので,自動車産業そのものが縮小する可能性もあると考える.そして,この記事を読み,そもそもアルゴリズムの統一化することは技術的に難しいのではないかと感じた.よって,記事にあるような事故を防ぐためには,法令違反をする者を徹底的に取り締まるしか現状は打開策が無いように思う.例えば,公道を走る車を国が管理し,危険な運転をしている車を即座に発見できるようにするのはどうだろうか.仮にアルゴリズムの統一が技術的に実現でき,自動運転車を普及させたいのであれば,上記の理由で自動車産業の縮小化を防ぐため,自動車メーカーを国営化させ,統一化を図るしかないように思う.
中井凜太郎 rintaro.nakai.2z@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 15:34)
私は実用化だけを考えるのなら、運転補助はともかく、自動運転を行う際のアルゴリズムは同一のものが使われるべきであると考える。一般道などでの運転支援は最低限にとどめ、高速道路などの自動運転専用道路を設定し、そこで統一したアルゴリズムによる走行を行えばよい。自動運転車しか存在しない状況を仮定すれば、コンピューター上でのシミュレーションも容易になる。すなわち短時間で仮想的に実用試験が行えるようになり、各社のアルゴリズムをそこで比較する。優れたものがあればそれを採用していけばよい。アルゴリズムが同一であれば、ハードウェアの交換も比較的少なく抑えられると思われる。
小島航 wataru.kojima.3r@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 15:27)
歩行者の多い市街地でアルゴリズムの異なるACCを実用化した場合、子供や自転車の飛び出しによる玉突き事故など、混乱が起こることは想像に難くない。
かといって自動車産業は社会インフラではないので完全なアルゴリズムの統合は現実的ではない。
そういった問題を懸念して、事故が起こる前にメーカー各社で協議し合い、法律である程度規定する必要があると考える。
渡部 小麦 (金曜日, 17 1月 2020 15:17)
本記事を読んで私は,自動運転の定義においてレベル3以上に匹敵する自動運転に適するもの,適さないものについて考えた.
電車,新幹線のような路線を持つものにおいては自動運転というのは適していると考える.なぜなら,発車時刻がある程度決まっていて,走る道筋も決まっているため,既に自動運転が使用されている航空機同様,定常状態が比較的多くみられるからだ.
しかし,自動車に関しては,自動運転が行われるのは他の乗物と比べ,非常に難しいと感じた.自動化を行うには,記事にもあった通り,あまりにも周囲の変化が著しいからである.スピード,位置,車間距離など必要な情報が不規則に刻一刻と変化するものばかりである.また,それに対応する必要がある.技術が進歩し,不規則な変化に対応可能なアルゴリズムが開発されたとき,非自動運転車と自動運転車が混合して走行することができるが,そうでない限りは,すべてが足並みをそろえる自動運転車になるか,現在のまま変化がない状態という極端な状態になってしまうと思った.
長嶋宏樹 hiroki.nagashima.7k@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 14:09)
自動運転では人間と違い,いわゆる「空気を読む」ということがとても困難であることを理解できた.確かに,これは人間ですらできないときもあるので,空気を読めるようになるのは不可能かもしれない.しかし,人間はASIMOを作ることに成功している.ASIMOは2足歩行人型ロボットであり,歩くだけでなく走ることも可能である.この歩くという作業は人間の歩き方を参考にしているのだが,簡単そうに見えてとても繊細で複雑である.昔は立つことさえできなかった.それでも人間は歩けるロボットを成功させた.
「空気を読む」もまた,とても繊細で複雑な行動であり,脳が綿密な計算をしており,脳に欠陥があるとそれはできない.(事実,アスペルガー症候群の方はそれができない.)しかし,歩くという繊細で複雑なこと成功させた人間ならば,同じく繊細で複雑な空気を読むことを成功できるのではないかと思われる.もしかしたら,また人間(の脳のはたらき)をモデルにするかもしれない.現在,人間の脳波でドローンを動かすなど,脳の研究はかなり進んでいる.そういう意味では,車が空気を読むことはそこまで遠くない未来であると考えられる.
また,メーカ間のアルゴリズム,性能の違いがなくなるという点について,技術が進めばたとえ違いがあっても問題はなくなるしれないが,現段階ではメーカ間でそれらを統一させた方が早いと考えられる.しかし,その影響で自動運転車をそもそも使わないという者もいると考えられる.したがって,自動運転車と従来の車が混在し,その2種の間では車々間の通信が行えないので,かえって危険であると考えられる.したがって,たとえ自動運転車が発売されても,当分は自動運転ができず,今まで通り能動的な運転を強いられてしまうというジレンマを抱えてしまうと考えられる.自動運転車の普及が99.99%ほどになって,やっと自動運転が可能であると考えられる.
黒岩 嘉逸 kaichi.kuroiwa.9r@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 12:27)
私も自動運転車と非自動運転車の混合交通の問題は難しいと思った.自動運転車では予期されていない状況になれば,システムは対応できず,結果として事故につながるからだ. また,ドライブを娯楽としている人がいるなか,すべての自動車を自動運転車にするのは難しいと考えられる.そのため,私は自動運転車と非自動運転車を混合するのではなく,場所によって自動運転にしてもよい区間を定めるか自動運転専用道路を整備するのが良いと考える.また,将来,自動運転車が普及すると,すべての自動運転車は同一のアルゴリズム,同一の性能で認知,判断,操作になり,各メーカ間の違いがなくなるとあるが,私は逆に,燃費や車内の快適さなどの機能面で差別化されるため,より各メーカ間の競争を促進し,社会の関心が高まるのではないかと思う.自動運転が導入されるのはまだ時間がかかるが,自動運転に備え,一人ひとりの交通安全意識を見直す機会になれば良いと思う.
鈴木俊太 shunta.suzuki.5i@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 12:25)
私も,自動車運転システムがレベル4,5に到達した場合,自動運転車と非自動運転車が混合した場合,問題が起きないのか疑問に思っていた.また,その問題を解決するためにすべての自動運転車は同一のアルゴリズム,同一の性能にするとしても,どのタイミングでそのシステムを搭載させるか,またそのシステム搭載車,もしくはそのシステムを既に所持している車に搭載するためにどのくらいの費用が必要になるのかも問題になる.レベル4,5の自動運転が現在の自動運転,ヒューマンドライバーによる手動運転より大幅に事故が減少し,便利なのは明らかである.だが,車が好きな人にとっては,デザイン以外性能が変わらなくなり,また自分で運転することがなくなるため反対される可能性があり,自動運転システムの普及に時間がかかってしまう.最悪の場合,車を買わなくなってしまい自動車産業の衰退を促してしまう可能性も少なからずある.また価格によっては自動運転システム搭載車,自動運転システムを搭載する費用がない人がいると考えられ,自動運転システム搭載が一般となるのにはまだ時間がかかるのではないかと考えられる.自動車運転システムをどのように普及させていくか,様々な案があると考えられるが,それぞれ運転車自身による課題がある.どのような案が採用されるかとても気になるところである.
土方 裕貴 hiroki.hijikata.4a@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 11:55)
この文章の最後に「将来,自動運転車が普及すると,すべての自動運転車は同一のアルゴリズム,同一の性能で認知,判断,操作を行うことになるかもしれない.そうなると各メーカ間の違いがなくなるかもしれないが,ドライバや社会はこれを受容するだろうか.」とあるが,私はやり方によっては受容しうると考えられる.例えば同一になったアルゴリズムを(オープンソースプログラムの様に)公表して社会の批判の目に晒されて,その批判がアルゴリズムに対してきちんとフィードバックがかかるようにして,そのアルゴリズムをきちんと実装されているかを公的機関が常に監視するようになれば受容できるのではないかと思う.しかしこの方法はやるのにとても大きなエネルギーがいるので政府がアルゴリズムに関してガイドラインを策定し,自動車会社に対してそのガイドラインを守らせることが,筆者の問題を解決するのに対してより現実的な解になりうると考えられる.
新井宏斗 hiroto.arai.6d@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 10:22)
結論から言うとACCの統一は自動運転実現化に必要不可欠であると考える
設計思想が異なるシステムが混在することによっておこるリスク、煩雑さ、予期せぬ挙動は、コンピュータにおけるOSや各種ソフト、ゲームなどで枚挙にいとまがないくらいに示されている
端的にいって基幹システムがことなる製品同士が同じ環境を共有することはバグの温床であり、すなわち設計者も予期していない動作を起こすことが容易に考えられる
もっとも自動運転化技術というのは社会貢献ではなく明らかに大きなビジネスチャンスであり、そこには間違いなく資本主義、市場原理が持ち込まれる
いち早く最大シェアを獲得したものの勝利であり、そのためには各社よりも1つ上の優れたモノでなければならない
その結果利権を求めて規格が乱立し設計者本人は本当に優れたサービスとして世に出そうとするが、結果的に利用する側からすれば煩雑になりすぎてかえって不便であるというのは他のサービスでもままあることである
今であればQR決済やFelicaなどにその実例を見ることができるだろう
もっともそれら決済システムと異なり、自動運転技術は交通事故などの社会問題とも関連があるので、基幹システムの規格の統一など法整備の観点からもっと行政が主体となって進めていって欲しいと感じる
ただそのようにしても、今度は国内システムと海外システムの違いなども存在し世界標準のシステムを作ることはとても難しいだろうことが予想でき自動運転技術にまつわる問題の根深さ、一筋縄ではいかない現状について認識することができた
久保田康平 kohei.kubota.6f@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 09:16)
この記事を読んで,自動運転が普及すると自動車ごとに差異が生じなくなることについて,私は運転の安全性および効率の向上のためならば仕方がないことだと考える.人間は経験を積むことで様々な状況に応じてルールにはない運転をするが,自動運転車は記事にあるように,決まったルールを遵守して運転する.自動運転と非自動運転が同時に存在すると,この人間とアルゴリズムとの間にある判断能力の違いにより記事のような事故が起きてしまう.この判断能力の違いを無くすためには,人間ドライバを無くし,同一のアルゴリズムで動く車のみの自動運転社会にする他ない.つまり,自動運転を実現し,車の安全性の向上,物流の高効率化するためには人間は運転せず,すべての自動運転車に差異がないようにするしかない.よって,私はドライバや社会は車の安全性の向上,物流の高効率化のため,このような自動運転車を受容すべきであると考える.
渋谷湧希 yuki.shibuya.8m@stu.hosei.ac.jp (金曜日, 17 1月 2020 08:47)
記事より,自動運転車の同一のアルゴリズム,同一の性能で認知,判断,操作を行うことで事故などは減少することに納得をしたと同時に難しいと思った.また,法的に制限をしなければ全ての車の自動化は実現しないと思う.全ての車を同一化してしまうと車間に差異がなくなり個性が生まれなくなり,企業競争が起きなくなるという危惧が発生する.また,今日までにどれだけ低燃費で音が騒がしくない快適な車が開発されようとその反対の性能を持つ車が好きな人もいるためである.このことから全ての車を自動化し性能の同一化は難しく,車というコンテンツの衰退を招いてしまう可能性がある.
自動運転車と非自動運転車が入り混じる限り判断の違いで事故が起きる可能性は否定出来ない.しかし,周りの状況に応じて速度を合わせることで事故リスクは下がると考えられる.解決策の一つとして自動運転車と非自動運転車の混合交通を実現させるには車車間通信による周囲との協調であると考える.特に高速道路などの信号のない場所では周りとのACCによる距離感,速度の調整によってかなりリスクは下げられると考える.一般道路であっても互いの情報を得られることで事故を未然に防ぐことができると思われる.車車間通信による周囲との同調が可能になれば,性能の同一化を行わなくとも,事故や渋滞のリスクは下げられると考えられる.